羽黒山スギ並木保全とまちづくり協議会「第5回協議会及び第3回オンライン研究会」開催
お知らせ
はじめての出羽三山Your Gateway to the Dewa Sanzan
このサイトは、はじめて出羽三山を訪れる皆さんにとってのゲートウェイです。ゲートウェイは直訳すると、「門のある道」。観光情報だけでなく、先人から受け継ぎ大切にしてきた思いを知ってもらう入口であり、皆さんの日常を今も信仰が息づく聖地へとつなぐ道でもあります。
真の出羽三山を知ると、出羽三山での体験がもっとおもしろくなる。歴史に学び、地域の思いや本物を守り伝えることが、出羽三山の未来をひらく。そんな思いを込めて、このサイトをつくりました。
歴史に学び、 未来をひらく。 受け継いだ思いを 守り、伝えていく。
出羽三山とは
神仏混淆の本物の聖地、出羽三山
出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、日本を代表する修験道(しゅげんどう)の聖地の一つです。
日本は国土の7割以上を山地が占める「山の国」です。遠い祖先の時代から、私たちのくらしの側には山がありました。あるときは水源地として、あるときは動植物の採取地として、またあるときは海上からの目印として、山は私たちのくらしを支えてきました。また、ときに噴火や山崩れによって、山は私たちのくらしを脅かしました。そんな山に、私たちは神仏の存在を重ね合わせてきたのです。こうした素朴な山岳信仰は、山で「験力(げんりき)」と呼ばれる特別な力を身につけ、里でそれを発揮し人々を救済する修験道へと結実していきます。
修験道の持つ大きな特徴の一つに「神仏混淆(しんぶつこんこう)」があります。「混淆」とは混ざり合うという意味で、明治以前の日本では、日本土着の神道と外来の仏教が混ざり合った神仏混淆の状態が1000年以上続いていました。しかし、神道を中心とする国づくりを目指した明治政府によって、神道と仏教は分離され、神仏混淆を体現した修験道は禁止されてしまいました。その結果、各地に存在していた修験道の聖地は壊滅的な打撃を受けましたが、出羽三山は門前町に住む多くの人々の熱意と努力で、神仏混淆の姿を現在に伝えています。
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出羽三山を知る
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山内案内
Guide- 羽黒山 三神合祭殿 通年参拝可
- 月山神社本宮 7/1〜9/15(例年)
- 湯殿山神社本宮 6/1〜11/1(例年)
- 羽黒〜月山道路開通期間 6月下旬~10月下旬
- 湯殿山有料道路開通期間 4/29~11/3(例年)
名所や参道、駐車場などの情報が詰まった出羽三山の山内案内図(pdf形式)をダウンロードできます。ご来山の際にぜひご活用ください。
出羽三山までのアクセス情報はこちらのページでご確認いただけます。
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ペットはリードにつないでください
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御入山前にお手洗いをお済ませください
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落枝・落雪にご注意ください
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山内は禁煙です
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植物の採取は禁止です
羽黒山手向の歩き方
Guide to Toge-
出羽三山神社
Dewa Sanzan Shrine出羽三山神社が鎮座する羽黒山には緑豊かな深い森が広がっています。
山頂のお社までは直接バスで来ることができますが、体力に自信のある方は、時間をとって随神門から参道を歩いてみてください。神社の入り口にある随神門を下り、自然の音に耳を傾けてみましょう。祓川(はらいがわ)のせせらぎや、木々の間を通り抜ける風の音が聞こえてくるはずです。山川草木。古来より日本人はこうした自然の中にカミを見ました。修験道の根底には、日本古来の神道的な発想がいきています。
山頂の三神合祭殿では、羽黒山、月山、湯殿山の神様をお祀りしています。参拝の際は手水舎(てみずしゃ)で手と口をすすぎ、体を清めて下さい。日々、神様に生かされていることに感謝し、心を込めてお参りしましょう。
また、随神門前の授与所と山頂の参集殿では「お注連(しめ)」を頒布しています。「注連」は結界を意味し、山中の魔障が憑かないようにするもので、山伏が用いる結袈裟(ゆいげさ)の流れを汲んでいます。修験道の聖地ならではのものですので、お求め下さい。身も心も引き締まり、あなたの参拝をさらに特別なものにしてくれます。 -
羽黒山荒澤寺正善院
Hagurosan Kotakuji Shozen'in Temple江戸時代後期の木版画「湯殿山月山羽黒山一枚絵図」には当時の手向宿坊街の様子が詳細に描かれています。中でも一際目を引くのは、門前町中ほどの鳥居の脇に描かれた正善院や黄金堂、お竹大日堂などの堂舎の数々です。正善院はかつて羽黒口の最初の拝所だった場所です。当時この地を訪れた人々は、山麓に広がる堂舎に心を奪われたことでしょう。絵図に書かれた堂舎のうち現存するものの多くは、現在、羽黒山荒澤寺正善院が管理しています。
明治以前の羽黒山は観音信仰を中心とする神仏混淆(しんぶつこんこう)の山でした。観音とは、世の人々の声を観じて人々を苦悩から救済する菩薩で、庶民の篤い信仰を集めました。「混淆」とは混ざり合うことを意味する言葉で、江戸時代までの羽黒山では多くの神仏が矛盾なく混じり合って祀られていたのです。しかし、明治時代に入ると当時の政府の方針により神道と仏教が区別され、羽黒山では多くの寺院が破壊され、山内に祀られていた仏像の多くが山下に移されました。そんな苦難の時代を生き延び、当時信仰されていた貴重な仏像の数々を現在でも守っているのが羽黒山荒澤寺正善院です。
手向を歩く際には、まずはここで足を止め、明治以前から大切にされてきた羽黒山の仏様に心を込めて手を合わせてください。これが江戸時代まで続いてきた手向の歩き方です。
photo credit: ©︎羽黒山荒澤寺・湯殿月山羽黒三山一枚絵図より抜粋 -
手向の宿坊
The Pilgrim Lodge Village of Toge「人々の集まり」を表す言葉の一つに「講」があります。元々は仏教の教えを聞くための集まりを意味する言葉でしたが、歴史を経るに従い、何らかの目的を持った自発的な集まりを広く講と呼ぶようになりました。
出羽三山にも多くの講が関わっています。出羽三山に関わる講は、東北のみならず東日本一円に広がっており、世代を超えて引き継がれてきました。こうした講と出羽三山を繋いだのが宿坊の山伏たちです。山伏たちは、冬場に講員の元を訪れてお札を配り、夏場は宿坊に講員を迎え入れ、出羽三山参拝へと送り出しました。宿坊を訪れた講員たちは、地元の食材をふんだんに使った精進料理を食べ、お祓いと御祈祷を受けた上で、お山にお参りしたのです。出羽三山の参拝について書かれた江戸時代の旅日記には、手向を起点として出羽三山を参拝した例が最も多く描かれています。
手向の宿坊はこうした伝統的な役割を変わらずに担っていますが、現在は一般客でも宿泊可能な宿坊があります。宿坊に泊まり、精進料理を食べてみませんか。出羽三山の神仏にご挨拶に行く前に、心と体を整える。日帰りのお参りでは味わえない、本物の出羽三山参りが体験できます。
私たちのこと
門前町に生きる私たちだからこそ、
伝えていきたい出羽三山がある。
出羽三山門前町プロジェクトは「今と未来の社会に求められる出羽三山の価値を見つめ直し、地域のなりわいづくりに活かす」ことを目的に、門前町内外の有志によって結成された組織です。2017年の結成より、門前町のにぎわいづくりや杉並木の保存、インバウンド誘客などに貢献できるよう努めてきました。
様々な活動を行う中で、私たちが気付いたのは「出羽三山の歴史に学び、先人たちの思いに敬意を払い、それを未来に伝えていく」ことが真に門前町のためになるということです。出羽三山に祈りを捧げてきた人々、門前町の歴史や伝統を受け継ぎ、現在もそれを守り続けている人々、こうした人々が大切にしてきた思いや営みに目を向け、それを伝えていくこと。一見遠回りにも見えますが、こうした活動を羽黒山手向地区を起点に、地域一丸となって進めていきたいと思っています。
活動報告
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